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過去を裁くときのルール

 昨年末、NHKスペシャルドラマ「東京裁判」を観たのでした。

http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20161213

 太平洋戦争に関する責任を問う裁判ですね。

 国の責任を個人に問う。

 戦勝国による敗戦への裁判。

 そもそも戦争行為を裁けるのか?

 など、いくつかのテーマがあるのですが、今回注目したのは「事後法の禁止」です。

 私の理解によると、

 事をなした当時なかった法律(つまり事後にできた法律)によって、当時の行為を裁くこと。

 つまり、

 当時は問題だとされていなかった(=適法)ことが、今は問題(=触法)とされているので、

 改めて、今のルール常識(=法律)にもとづいて、過去の行為を裁くこと。

 は禁止だということです。

 今は裁かれないけど、今後新しい法律ができると裁かれるかもしれないと予想することで、

 

 自由な行動に制限がかかることを防止するねらいがあるようです。

 さて、なんでこんなややこしいことに注目したかというと、

 不登校やひきこもりの親は、これに悩むからです。

 当時は、フツーにみんながやっていてとがめられなかったこと。

 にも関わらず、

 当時より人権意識の向上した今の常識に照らすと、とてもひどいことをなしたことになってしまうことがあります。

 体罰も昔は容認されていました。

 父親は家庭を顧みず一生懸命に仕事に打ち込むことがよいこととされていました。

 母親は我慢するものでした。

 

 子どもは親の言うことに従うことがよしとされていました。

 従わない子は悪い子、よそ様に顔向けのできない恥ずかしい子でした。

 全体基調として、

 自分を滅して社会に奉仕することがよいことでした。

 そんな常識が今は通用しません。

 悪ともなります。

 そのため、あの時の自分の行為を裁いて、責めて、子どもとの関係に苦悩している人は少なくありません。

 その反動で、自分の正統性を主張して、かたくなに自分の行動を変えない人もいるでしょう。

 事後法の禁止の原則に則ると、当時良しとされていた行為を、現在悪いとされているからと裁くことは禁止です。

 裁かなくてイイのです。

 そのかわり、これから、より相手の心に寄り添った行為をすればイイのです。

 現行法に従って。

 そんなことを思いました。