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卒業って・・・

世の中は三月の卒業シーズンという事で今日は自分なりの卒業論について書きたいと思う・・・。

卒業して いったい何解るというのか

想い出のほかに 何が残るというのか

中略

あと何度自分自身 卒業すれば

本当の自分に たどりつけるだろう

仕組まれた自由に 誰も気づかずに

あがいた日々も終わる

この支配からの卒業

闘いからの卒業

尾崎豊 卒業〜

私なりの卒業論を言ってしまえば、卒業とはある一定の時間や期間をいうのではなくて、知ってしまった事、経験した事、出来てしまった事、飽きてしまった事だと思うんだよね・・・。

例えば、本を読み始めてその本を読み終えた。

これも、卒業だと思う・・・。

つまり、その本から卒業したのだと・・・。

例えば、ピアノの練習をして曲を弾き始めたとする。

何でもいい、メジャーなところで「エリーゼのために」を弾き始めて練習したとする・・・。

そして、その「エリーゼのために」を練習して弾けるようになったとする。

これも、卒業だと思う・・・。

つまり、「エリーゼのために」から卒業したのだと・・・。

例えば、料理をするようになり、目玉焼きやチャーハンは目を閉じても作れるようになった・・・。

これも、卒業だと思う・・・。

つまり、目玉焼きとチャーハンから卒業したのだと・・・。

例えば、ゲームのドラクエ(ドラゴンクエスト)をやって、全ての謎を解き、最後のラスボスである竜王を倒してドラクエ、クリアした。

これも、卒業だと思う・・・。

つまり、ドラクエから卒業したのだと・・・。

あと、子供の頃(特に幼児の頃)に誰しも「お母さんといっしょ」や「アンパンマン」などといった番組を見ると思う・・・。

だが、幼児から少年・少女になるにつれその様な「お母さんといっしょ」や「アンパンマン」などといった番組は見なくなる・・・。

これも、卒業だと思う・・・。

つまり、「お母さんといっしょ」や「アンパンマン」から卒業したのだと・・・。

この様に卒業って、その節々によってあると思う・・・。

だが、この例で言ったら尾崎豊は本を開く前から、ピアノの鍵盤を触る前から、包丁を握る前から、ゲームのコントローラーを握る前から、卒業を拒否(もしくは何かをやることを拒否)している訳で、愚の骨頂だと思う・・・。

つまり、私が思うに卒業って知ってしまった事、経験してしまった事、出来てしまった事、飽きてしまった事で、次の段階に移行する為の一過程、一プロセスなんだと思う・・・。

つまり、1から2に移行する途中に卒業と言う過程、プロセスがあると・・・。

何度も繰り返すが、卒業って本来そういった達成してしまった事のはず?なのに時間や期間で区切るから尾崎豊みたいな迷える子羊が出てくるのだと思う・・・。

かと言って、私は学校教育を否定するつもりはない・・・。

大人になり社会進出をする為には期間、時間制限を設ける必要がある・・・。

さらに教師達は、その決められた一定期間の間にある程度は出来るようにする必要はあると思う・・・。

だが、私がここで言いたいのは、満点を取り首席で学校を卒業した生徒なら、胸を張ってその学校を卒業したと言えるだろう・・・。

だが、赤点ぎりぎりの点数で卒業した人は、本当にその学校を卒業したと言えるのであろうか・・・?

まだまだやり残した事、学び残した事があるのではないだろうか?と思ってしまう・・・。

と、学生時代後者だった私は自分に言い聞かせるように書いてみた・・・

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