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幻を追ってしまった功罪【『1984年のUWF』読書感想文】

「サンタクロースは親だ」と知ってしまったのは小6だった。ラジカセを買ってもらえると聞き、親父に付いていき新宿のヨドバシカメラで買ってもらった。『これが今年のクリスマスな』と言われた時に「いないんだ」と気付いたことを思い出した。「プロレスはショウである」と完全に悟ったのは11年前の話、アルバイトでプロレス会場に出入りしていた時のお話だ。

1984年のUWF」は文芸春秋社の雑誌「Number」で昨年1年間連載されていたものが単行本化されていたものである。Number自体はよく読んでる雑誌だったけど、珍しく昨年の1年はあまり読んでなくて、連載終盤のあたりが広島東洋カープ優勝の時で、たまたま読んだ時にこれは買わないといけないと思い発売日に買ったのだ。

まず、思ったことはこの連載をプロレスを真剣勝負だと思ってた中高生位の自分が読まなくてよかったという事。中高生の頃もNumber読んでいたので仮にこの連載があって諸に「プロレスは真剣勝負じゃない」と面と向かって書かれている記事を読まされたら価値観はぶっ壊れていたかもしれないから、本当に2017年に読めて良かった(笑)。

親族も含めて「プロレスはやらせ」だなんてことを聞かされたけど、ずっとそんなことはあるまいと思いながら過ごしてきて、ずっと興奮してきた、それが私とプロレスの歴史。思い出すのは1995年の10月9日、新日本プロレスUWFインターの全面戦争である。ちょうどその日、家庭不和で不穏な空気が流れてて、それを払拭すべくテレビの中継を見ていた記憶がある。それだけにはとどまらないけれども、思春期の自分にプロレスが多大なる影響を与えてきたのは間違えなくて、それをガチンコだと信じていた当時の自分にそれこそ週刊文春みたいな下世話なメディアではなくNumberみたいな中立的なちゃんとした大人が「いやいや、あれはショウだよ」なんて冷や水を浴びせられたらたぶん人生が大きく変わっていたのかもしれない。どう変わったか?楽しみであるけれども、ちょっとゾッとさせられる思いではある(この際、週刊文春もNumberも文藝春秋社の雑誌であることは棚に上げよう)。

あと、中学生の頃、プロレスごっこが休み時間に流行った。あれも本気で止めていた担任はきっとプロレスがショウだからこそ真剣だったのだろう。素人とはいえ、全日本の四天王プロレスを意識したり、DDTはマットのない床にやってたりしたから、逆によく怪我人が出なかったもんだと思う。

UWFとは自分にとって何か?それは幻想である。そもそも地上波でやってなかったから知らないし、記憶がある頃には既に藤原組、Uインター、RINGSと分裂していた。高田延彦ルー・テーズのベルトを持ってるから「プロレス世界一」で、IWGP王者の橋本真也や三冠ベビー級王者の三沢光晴にトーナメントの参加を要請していたり、前田日明のRINGSはプロレスとはかけはなれたポイントの奪いあいみたいな見たこともない競技をしているのをWOWOWで見た記憶がある。

そんな高田や前田がいた夢のような団体、しかも一番最初の旗揚げを地元も地元、徒歩圏内にある大宮スケートセンターでやっていた、それが誇らしかった。凄かった団体が近所で産声をあげていたことが嬉しかった、そして実態を知らなかったからこそ、そのもやがかった幻がたまらなく嬉しかった。この本を読むまで。

読みながら感じたのはUWFにはブルースが常に付きまとっていたと言う事。勢いよく船出するかとおもいきや、猪木が裏切ったり、佐山聡の理想は反故にされたりとか哀愁とか抜きには語れないようなものばかりだった。それでも戦わなければいけない男達の姿に胸を打たれて周りのマスコミから出資者、ファンまでが力を貸して傷だらけになりながら進んでいったのがUWFだったんだなと思った。

イメージとしてもそうだけど、新日本では出来ないプロレスを標榜していたに違いないUWFの生きざまはプロレスらしさあふれた人間臭いものだったと言うのも皮肉なもんである。

藤原組から真剣勝負をしたいと抜け出たのがパンクラスだった。プロレスに関して線引きが出来ていた今でも「競技としてやっていた」から真剣勝負そのものだと思っていたRINGSは前田の試合には決められた結末があったと知りショックを受けた。先に読み終えた人が「前田日明が読んだらなんて言うだろう」みたいな感想があったけど、確かにそこは気になる。

本文にあったが、格闘技をやってるものに言わせれば、プロレスの一連の動きはあり得ないことばかりなのだと言う。ロープに投げて反動で返ってこない。関節技も決まったらすぐ何も出来なくなるからロープに逃げるなんてあり得ない。勝ちたければトップロープから飛んでくる相手を交わせば勝てる。我々に言わせれば夢のない理屈みたいなものだけれど、それが現実である。

この本で一番ショックだったのはそういった事に絡んでくる先述した1995年の10月9日の武藤敬司高田延彦戦の最後、武藤が四の字固めをかけた瞬間に東京ドームがどよめいたと言う話。私も含めて新日本ファンは「これで決めろ」と言う期待の声だったが、UWFインターファンにしてみればショックの叫びだったと言う話。四の字固めはかける側かけられる側の同意あってこそだから「高田もそっちかよ」と言う意味合いの叫びだったと言う。現場にいたわけじゃないけど同じ瞬間を体感したものとして凄いショッキングだった。

あと、シュートサインの話。シュートって言葉の意味こそ分かってたけど、あまり意識にはなかった。そのモチーフが手で銃を象るサインであったりする話を読んで直近だと「豆腐プロレス」で松井珠理奈がやってるし、バレットクラブなんかずっとそうだった、更にはヴァンダレイ・シウヴァがいるシュート・ボクセ・アカデミー等々色んな所にフラッシュバックさせられつつ、それらの意図を見つけ出せずにいる。

改めて、「プロレスはショウである」と言うのが事実だとしても、それは前提ではなくて極論である。ショウだと思ってみることでどれくらいつまらないことか分かってるからこそ、その概念をぶっ飛ばしてその世界に乗っかって楽しめるのがプロレスファンである。楽しみ方を知ってるからプロレスファンはいつも面白い人ばかりだ。

恐らく、この面白さに付いてこられない人は一生そうだろう。これを「やらせ」なんて色眼鏡で否定するやり方はいくらでもある。しかし、仮に作り物だとしてこれほどまでに色んなエンターテイメント要素を持ち、人々の喜怒哀楽を刺激する作り物はないと改めてこの本を読んで感じた。

本にもあるようにUWFがそしてそこから別れていった様々な団体が理想を掲げ目指していたことが2000年代の格闘技ブームに繋がり、大晦日の風物詩にまで成し遂げたわけたのだから。

そして、これを読んでしまったゆえにPRIDEって真剣勝負だったのか?と言う微かな疑問も生まれた。

故に「1984年のUWF」、その功罪は大きい。